六歌仙と思って読みはじめると、冒頭1/4でタイトルを見直す。
「QED 六歌仙の暗号」(高田崇史)の読書ノート。
※ネタバレを含みます。
冒頭から、七福神の話が始まって「あれ?」とタイトルを見直す話でした。
タイトルは六歌仙だけれど、それがスト―リーに出るのは序盤の終わりくらいからでしょう。
七福神と六歌仙に関しての情報量は、前作の「百人一首の呪」から引き続きの深堀具合です。まあ、これがQEDシリーズの醍醐味でもあるのだけれども。
読了後には七福神にも六歌仙にも一端の知識を持てる、と感じさせられる情報量が込められた一冊です。
それが体系的にまとまって、しかも殺人事件と絡んでいて、読み進めやすい形にもなっている一冊だけれども、本筋に関係のないところはちょっと飛ばし気味で読むのも、またこのシリーズの楽しみ方なのではないだろうか(笑)
全然平安じゃなかった平安時代
前作の「百人一首の呪」から、全然平安じゃなかった平安時代後期の藤原氏と後鳥羽上皇と、少し遡って藤原家と紀家と天皇家のごたごたに、和歌が絡んでの話。
中々そのあたりの歴史を学びなおす事ってないから、個人的には読んでいてすごく楽しい。
上述の通り、読み飛ばしはちょいちょいやっているけれど、現役時代(日本史をやったのは中学校が最後だが)には寝殿造りに望月の欠けたる事もなき道長さんくらいしか覚えてないからね。
藤原氏の流れと、桓武天皇から数代の天皇家の話、摂政がどうとか、誰の対抗馬が誰だったとか、で後援会会長がこの人でって、がっつり「まつりごと」の話が絡んでた。
そういえば、自分が「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしとおもえば」の句は暗唱してるのは不思議だった。
それだけ、印象に残っていた句なのか……「道長、くそ傲慢」って(笑)
個人的には思入れが……
さてさて、そんな六歌仙の七福神の絡んだ本作ですが、個人的には、ある意味思入れの深い話でございます。
といっても、その思入れは読む前からあったもので、実は、本作は自作の短編と結果的にネタが被ってしまった大長編なのです。
もちろん、本作は全くの未読で書いた自作短編だったし、話の作りも全然違うし、六歌仙や七福神に関しての情報量もくらべものにならないくらいですが、結論とネタバレから言ってしまうと、「六歌仙=七福神」の構図を自作短編でも使ったのです。
自作短編は、「七福神だけど6人しかいなくて、実は六歌仙だった」というネタだったのですが、その短編を収録した「居酒屋ろいどパズル倶楽部(1)」のあとがきで、ふと「ところでこのネタ、だれもしてないよね?」と検索を掛けたら「高田崇史の『六歌仙の暗号』で六歌仙=七福神という解釈をしている」となりまして……
その事実は、上記「ろいど(1)」のあとがきにも掲載している通り。
その時点で本作は未読で、今回初めて読んだわけです。
まあ、被ったところで自作が太刀打ちできる話ではないし、両作を読んだ人がパクリと感じるレベルでもないだろうから、問題には感じていません。
アイデアの流用くらいは言われるかもしれないけれど、自分自身が本作未読で書いた短編だったし、流用していないのは自分が一番わかっている。
そもそも、流用するならもっと手の込んだ短編、情報を絡めた短編に仕上げてるよ。
既に、QEDの方を読んじゃったから、今から手直しもできない(手直しすると、必ずこっちに引っ張られて、色々仕入れた情報を詰めたくなる)。
もう、アンタッチャブルになってしまった。
長編を書くってこういう事か
今、QEDの4作目を読んでるところですが、読むたびに、資料を漁るってこういう事、長編を書くってこういう事、と思わされる。
おそらく、使わなかったものが書かれたものの数倍あって、それがあって初めてこの長編が出来ていると思うと、自分の執筆がどれほど小手先かと思い知らされる。
調べて調べて調べて調べて、調べたウチの8割を切り落としてってな手法で、個人的に一番難しいのは8割を切り落とすことかな……。
調べたら、全部詰め込みたくなるよね。
とかいう戯言は、調べてから言えって話でもあります(反省)
