「髪型を変えられない人は、人生を変えられない」こんなエッセイを書いてみたい。

 

奥様が読んでらっしゃった本、「結局、丁寧な暮らしが美人をつくる。」(松本千登世 著 講談社)の最初の一節。

美容ジャーナリストが書いたエッセイの最初の章「『毎日』に飽きない工夫をする」の最初に位置付けられた言葉。

「髪型を変えられない人は、人生を変えられない。」

これに、少しガーンときた。


結局、丁寧な暮らしが美人をつくる。 今日も「綺麗」を、ひとつ。

髪型を変えられない人は、人生を変えられない。

バリカンでのセルフカットを始めて半年以上が経過した。

毎回同じ仕上がりにはなるが、毎回同じ仕上がりにしかならない。

そんな閉塞感と、どこか上手くいかないと思いつつ、これでいいだろうと納得する自分。

セルフカットに掛かる時間と、カット代を天秤にかけると、トントン。

セルフカットだと同じ仕上がりにしかならない。

 

出来に、心底満足しているかと言われれば、そうではない。

そうではないけれど、自分の好きな時間に、自分の好きなだけ時間をかけて、人に気を遣う事もなく、カットできるという環境は気に入っている。

いや、気に入っていた。の間違いかな。

最初の頃はそれも楽しかった。

最近は? と聞かれると、少し面倒くさくなってきた。

だから、セルフカットをさぼり気味で、髪は伸びっぱなし。もう、不格好と言っていいレベルになっている。

そんなときに、ふと目にした本の最初に書いてあったのがタイトルの言葉。

これは、髪を切りに理髪店にでも行け、という何かの思し召しだろう。

毎日同じ髪型、毎日おなじような洋服、毎日おなじ靴。

 「切ってもいずれまた伸びる」と軽やかに考えられないのは、自分に対して他人に対して、何より人生に対して柔軟性がないということなのかもしれない

毎日同じ髪型、毎日おなじような洋服、毎日おなじ靴。

日々の選択のための脳のキャパを服や靴を選ぶ事に使わないために、同じ格好をしているという事も無きにしも、かもしれない。

でも髪型って、2週に1回とか、月に1回とか。

しかも、理容師さんに「ちょっと違う感じで」って言えば気軽に冒険ができる。

とは言っても、理容師さんは、そこまでの冒険はしない。

いきなり、黙って、モヒカンにはしない。

「こんな感じで切りましょうか?」と言われた時に突飛でなければそのままお願いすればよい。

それだけで、少し変わる。

それって、素晴らしくない?

人生が変わる一歩がこんなにも簡単に! と思うと、今週、散髪行きます。

 

結局、丁寧な暮らしが美人をつくる。

さて、この本。
「結局、丁寧な暮らしが美人をつくる。」(松本千登世 著 講談社)

・幸せは「質」より「量」
・「敵ができて、一人前なのよ」
・健康より元気、奇麗より素敵
・「今向いているほうが、前」
・幸せに見えたい人、幸せになりたい人

といった、「グサッ」とか「ガーン」とか、そんな擬音の似合う見出しが並ぶ素敵な本。

見出しに惹かれてページをめくると、じんわりと心に沁みていくような温かいエピソード、自分の過去の恥や後悔を掘り出しそれを癒してくれる言葉や考え方であふれている。

私は男だから、タイトルの通りに美人になれるかは疑問だけれど、この本での美人ってのは、たぶん、見た目ではなく生き方や内面なのだろう。

丁寧に生きるって素晴らしくって難しくって、でも、出来ないわけではなく、考え方で案外簡単なのかもしれない。

それから、物書きの端くれとして、こんなエッセイを書きたい、強く思わされる本だった。

 


結局、丁寧な暮らしが美人をつくる。 今日も「綺麗」を、ひとつ。

 

 

カテゴリー:本。読書。小説の事

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