「ごんぎつね」の「ごん」は、村人に認められたかどうか。
ごんぎつねって知ってます?
「これは、わたしが小さいときに、村の茂兵というおじいさんからきいたお話です。」から始まる、兵十といたずらキツネのごんの話。
むかし、「わたし」の村の近くの中山という小さなお城から、すこし離れた山の中に独りぼっちの「ごんぎつね」というキツネがいて、近くの村へ出て行ってはいたずらばかりしていた。
その村の兵十という青年がウナギを獲っていたのを、盗んだ。
実は、そのうなぎは病床の母親に食べさせるためのもので、数日後その母親は他界する。
それを知ったごんは、自分がウナギを盗ってしまったから、兵十の母親はウナギが食べたいと思いながら死んで行っただろう、あんないたずらしなければよかったなあ。
と後悔する。
母親を亡くした兵十はひとりぼっちになってしまった。
自分と同じではないか、と自分のいたずらを反省するごん。
その後、ごんは罪滅ぼしとして、兵十の家に松茸や栗を兵十の家に差し入れするようになる。
それを知らない兵十は、家にごんが忍び込もうとしていると勘違いして、撃ってしまう。
撃たれて倒れたごんに近づくと、そこには差し入れの栗がある。
「ごん、お前だったのか。いつもくりをくれたのは。」
と兵十が気づいて、終わる。
そんな話。(新見南吉「ごんぎつね」より)
物語の読解を学ぶ教材
小学校4年生で、物語の読解を学ぶ教材として出てくる。
読解のポイントとしては、ひとりぼっちのごんはなぜいたずらばかりしていたか、最後、兵十に撃たれたごんは死んだかどうか、そんなところが問われるらしい。
(詳しくは知らない)
「この時の作者の気持ちを考えなさい」よりも親切な設問だとは思う。
(作者は、『これが売れれば、印税がっぽりだな!』という気持ちだったかもしれないから。一般的にね。新見南吉がそうだったとは言っていない)
ごんがいたずらをしていたのは、独りでさみしくて、村人にかまってほしかった、認めてほしかった、そんな気持ちが歪んだ形で発現されたものだそうだ。
小学生の男子が(たまに中年のおっさんでも)好きな子にちょっかい出して、自分を見てほしい感情に似てる。
ごんが死んだかどうかは、これは言及がなくて、どう感じたかを問うもので、正解はないらしい
(飽くまで「らしい」であって、教科書の赤本を見たわけではありません)
で、ごんの、「村人に認めてほしい」という願いはどうなった? 成功した? という問いがある。
ここまでが、前段。
ごんの、「村人に認めてほしい」という願いはどうなった?
縁あって、小学校教員向けの国語研究会のセミナーに参加する機会があった。
この中で、ごんの願いは叶ったのか? という話があった。
そのころ、私は創作を始めた時期で、何か一つでも吸収できれば儲けもの、くらいのつもりで参加していたし、小学生向けの教材研究と、すこし舐めていた部分もあるだろう。
この「ごんの願い」=「村人に認めてもらいたい」は叶ったか? という問いが難しかった。
話は、ほとんど兵十とごんを中心に進み、その他の登場人物は兵十の友人である加助だけ。
あとは、ストーリーへの絡みは全くないが村人の名前として弥助や新兵衛という名前が出てくる。
話の始まりである、ごんが兵十のウナギを盗るところから、撃たれて火縄銃から青いけむりが細く出るまで、どこにもそれは書いていない。
加助に兵十が、栗が置いてある、だれが置いたのか? という話をしているが、ごんが置いているという話にはなっていない。
加助は、「そりゃあ、神さまのしわざだぞ。」とか、ファンタジーなこと言うし。
(いや、キツネが人間と同レベルの話をしているってだけでファンタジーだが)
兵十が、村人に「ごんがこんな事をした」と喧伝したのか?
そうだとしてもそうだったとは書いていない。
類推するしかない。
ごんは村人に認められたのか?
その答えは!
答えは本文に
「本文にしっかり書いてあります」と講師の先生。
「ほら、ごんと兵十の物語には、『わたし』も『村の茂兵というおじいさん』も出てこないのに、わざわざ、最初の一文に書いてある」
「『これは、わたしが小さいときに、村の茂兵というおじいさんからきいたお話です。』って」
「これは、その村に、ごんの名前が残っていることを指している」
「つまり、認められたのですよ。後世に名を遺すくらいに」
あ、伏線って、こういうことか。読解って、物語を読み込むって、こういうことか、ど気づかされた経験だった。
読者が気づくかどうか、そこまで深く読もうとするかどうか、それは読者にゆだねるしかない。
でも、気づいてくれたり、そこまで読み込んでくれると嬉しいな~くらいで書いていいんだ、と思わせてくれる経験だった。
問題は、この経験を、現在、自身の創作に反映できているかどうかってこと、
そして、何より、当時の感動や驚きを、この記事で正しく伝えられているかどうかが
、一番の問題。
